集積

書きたいときに書くだけ

ひとおもいに

めくるめく大学第4学年を修了した。これで人生何度目の春休みになるだろう。とりわけ大学に入学してからというもののここ数年は春休みの到達感が感無量と言った感じだ。自分なりに頑張ったなぁと思えてくる。そこにさらに付け足すなら、相対的にどうあるかということもいまや自己評価に集約されているというのもポイントだ。とにかく年々バージョンアップしているはずだ。そしてまだまだ完璧とは程遠い。


さて、この春休みは何をしようかと考える。映画を見ていいし、友達と飲みに行ける、海外にすら行ける、もちろん勉強してもいい。改めてこのように何だってできる環境が与えられるとかえって特に何も思いつかないものだ。毎年そう思いながらうたた寝をする。この時期の肌寒さもあたたかさも、眠るのにはちょうど良い。布団が気持ちいいし、目覚めもなかなか快適。とにかく何をしても幸せかもしれないと感じることができる。しかし一方で私は遊ぶのには向いていない。遊ぶというのは具体的に他人とのコミュニケーションを伴う遊びだ。責任のない会話が苦手だ。いつどこで義務や責任が発生するのかわからない点が。距離を測りかねる。親でさえそうなんだから他人なんてもっとそうだ。最初から役割が与えられればいいとさえ思う。いっそのこと私はさっさと働きたい。このモラトリアムは、そんな突発的でくだらない恨みごとを想起するためだけに用意されているのかな。本当に呪われているよ。旅行に行ってしまえばそんなことを考えなくてすむし、快適な時間と、ほどほどの緊張感が得られる。だけどそれには金が要る。それだけのために、特に行きたいという強い情熱があるわけでもなしに、おそらく三十万じゃきかないような大金を勝手に使ってよいものかと思う。金を稼ぐのは大変で、それでいてその金を稼いだのは私ではない。早く私も稼げるようになりたい。だけど稼げば稼ぐほど、長い休みはとれず、結局旅行にはいけなくなる。ということは、もしかすると、旅行に行っていいのはただの私だけなのだな。行けば何かしら楽しめるかな。物珍しさとその他いろいろな感動をまた味わうことができるかな。危険な目にあわないかな。母さんやお姉ちゃんに相談して決めよう。