集積

書きたいときに書くだけ

まばら

先月から映画館へよく足を運んでいる気がする。今月に入ってから見た映画はどれもよくて、終わった後にすっと浄化されるような感じがした。ざっと三作ほど。

ニンフォマニアック、トムアットザファーム、アルゲリッチ 私こそ音楽!

それぞれ全く違う映画だけど、どの作品も人の持つ奇妙な心理について垣間見れ、そういう点で共通している。ニンフォマニアックの言葉の意味は色情狂だ。愛とかってなんなんですか?知る必要もないわよ、と言わんばかりの主人公だった。でもどこか遠いところから、愛情みたいなものをじっと観測しているみたいな様子もあり、パンクなおとぎ話という感じをうけた。トムアットザファームは、タイトル通り、ある限られた一地点でのトム(主人公)について描かれる。それは彼の暮らしぶり、心地いいと感じるもの、執着、嫌悪、思い出といった様々な人格を構成する成分を農場という限られた舞台からきりとってる。農場以外での彼の人格や生活は何も描かれていないが、おそらく街での彼はまた別の人格だろう。たとえどんなに歪んだ環境でも人は何とか愛情らしきものを見つけて、それに沿って価値観を変態させる力があると見受けられ、ちょっと怖いなと思った。最後に、アルゲリッチ(以下略)。これはドキュメンタリーだ。母であり天才ピアニストでもあるマルタ・アルゲリッチのプライベートな面を、彼女の娘(あるいは娘たち)の視点で還元している。「私にはそれほど重要な人がいないのよ」と娘に面と向かって躊躇いなくこぼすようなマルタだが、同時に「私はあなたが好き、一緒にいて心地がいいし」みたいな事もいう。そんな気ままで不安定な母親を持った子供のうちの一人は、落ち着いてその受け皿となったようで、彼女を「女神のようであり、赤ん坊のようだ」という。また別の娘は、「彼女みたいになりたかった、だけど今は自分自身になりたい」とのこと。反面教師ともいえるし、ガイドプランともいえる彼女たちにとっての母の姿は、『お手本』という意味での母親からはおそらくとても遠い。ひとりの人間として見る以外に、心の距離が測れない位置にきっとあるのだ。私は結構このドキュメンタリーに共感してしまった。私の母もこういうタイプだ。たまに聖母みたいに見えたり、守ってあげなきゃいけない存在にもうつる。自立というより浮遊してる人という風におもえる。

人の愛情はめっちゃくちゃ多岐でわけのわからない崇拝や願望、時に興奮、苦しみ、逃避、などなどを肥やしにしてるのかなと最近漠然と思う。

愛はときに自己破壊につながるかもしれないし、あるいは周囲を巻き込んで大きな役割になるかもしれない。幸か不幸かはさておき、私は見聞の領域を超えた経験があまりに不足しているので、こういう娯楽映画すらまともに理解できているか怪しい。

皆日ごとに数秒おきに違うことを考える。他人にいい顔をしようと態度をかえてく。他人からの評価を気にするあまり、自分の虚像を投影した他人からの評価(他人も色眼鏡でこちらを覗いている)を気にしてる。ややこしいけれど、よくよく考えると人間関係は全て幻想から成り立ってる。愛は思いのほか超自然的に生まれてるのかもしれない。そういうことをこわいと感じるよりも、試合の原則と捉えてしたたかに計画を練るのもまた面白いような気がする。もう話がめちゃくちゃに飛んでしまって楽しくなくなってきたので終わりにする。